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仮にも先進国であり、多くの国よりも豊かな日本において、心が貧しく心身を日々消耗し続ける社畜がなぜ量産され続けているのでしょうか?
この記事は社畜が量産され続ける理由と、社畜を抜け出せる方法についてお伝えします。
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社畜ライフで消耗しまくっているでござる。
なんで日本には消耗している社畜がこんなに多いのかしら。
わんわん(それって美味しいの?)
- この記事は次のような方にオススメの記事です。
- 2種類の社畜
- 同じ「家畜」でも飼育方法が違う
- 「労働」が美徳であるという絶対的な価値観
- 「お金儲けは」穢れている、お金持ちは悪いことをやって稼いでいるという考え方
- 忠誠心がある人は素晴らしいという考え方(生え抜き思想)
- 上のものしか得をしない「上下関係」の文化
- 社畜を量産し続けるシステムの「学校教育」
- 周りを気にする文化「同調圧力」
- ブラック社畜から抜け出す方法
- まとめ
(初回公開日時:2020年6月25日)
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【筆者情報】
社畜の定義
社畜の定義は様々ですが、このブログでは
- 「会社に雇われて会社に時間と労働力を提供し続けている家畜のような社員、また会社のための労働によって心身ともに消耗し続ける会社員」
のことを指します。
そんな私も「社畜」ではありますが、少し定義からは外れます。
現在私は5回の転職を経て現在の仕事に就いています。
かつてはブラック企業において養畜(ようちく)されていましたが、現在は大企業の庇護(ひご)のもとホワイト社畜としてストレスの少ない社畜生活を送っております。
豊かな先進国日本において「社畜」が量産される理由 タイトルにもあります、「社畜」が量産される理由をまずは箇条書きでお伝えします。
- 「労働」が美徳であるという絶対的な価値観
- 「お金儲けは」穢れている、お金持ちは悪いことをやって稼いでいるという考え方
- 忠誠心がある人は素晴らしいという考え方(生え抜き思想)
- 上のものしか得をしない「上下関係」の文化
- 社畜を量産し続けるシステムの「学校教育」
- 周りを気にする文化「同調圧力」 これらが、日本において「社畜」を量産し、これからも量産し続ける
という理由になります。
これから、社畜が量産され続ける理由について個別に解説していきたいと思います。
そして最後に「社畜を抜け出す方法」、あるいはブラック社畜からホワイト社畜になる方法をお伝えしますので、よろしければ、最後までお付き合いしてください。
私が考える「社畜」というのは2パターンあると思っています。
2種類の社畜
社畜にもタイプがあると思っています。
大きくわかりやすく、「色」で分けさせていただきました。
言うならば、ブラック社畜と、ホワイト社畜です。
ホワイト社畜
ホワイト社畜については、同じ社畜ですが私のように給料もよく、休日も多くホワイト企業に勤めている社畜です。
ブラック社畜
一方のブラック社畜は、いわゆるブラック企業に勤務し、心身ともに消耗し時間だけではなく「会社に骨の髄まで搾り取られるような環境」に身を置いている人です。
同じ「家畜」でも飼育方法が違う
言うなれば、ホワイト社畜とブラック社畜は同じ「牛」でも ガリガリになるまで、田んぼで作業を昼夜問わず働かされてガリガリになっている牛です。
または狭い厩舎のなかでキツキツな環境で、「太るためだけ」に穀物を与えられる牛のようなものです。
ホワイト社畜は、広々とした農場用でゆっくりと牧草を食べてのんびりしている牛です。
「たまに仕事か」という感じで「乳を搾らせてあげる」くらいの感覚です。
で、今回の社畜のお話はもちろん「ブラック社畜」についてです。 いま、あなたはどちらの社畜ですか?
おそらく、これからも日本において「ブラック社畜」は量産され続けるし、なくならないと私は思っています。
その理由は日本と諸外国とは大きく違ったガラパゴス的な文化な違いも大きく影響していると思っています。
- 「労働」が美徳であるという絶対的な価値観
- 「お金儲けは」穢れている、お金持ちは悪いことをやって稼いでいるという考え方
- 忠誠心がある人は素晴らしいという考え方(生え抜き思想)
- 上のものしか得をしない「上下関係」の文化
- 社畜を量産し続けるシステムの「学校教育」
- 周りを気にする文化「同調圧力」 これらが、日本において「社畜」を量産し、これからも量産し続ける
ひつつずつ見ていきたいと思います。
「労働」が美徳であるという絶対的な価値観
日本には働くということが「美徳」であるという価値観が刷り込まれています。
当然、日本国憲法において憲法27条には勤労の権利と勤労の「義務」においての規定があります。
日本人に置いて、「勤労」は「義務」とされているのです。
なお、明治時代の大日本帝国憲法には「勤労の義務」という規定はありませんでした。
どこの国が、この憲法を定めたのか少し調べればわかることですよね。
ちなみに、アメリカの憲法では「労働、勤労の義務」の規定はありません。
あと北朝鮮では「労働は義務化」されています。
法律、憲法の影響は大きいとは思います。
それ以外にも「働く」ことに美徳を感じる文化は根強く残っていると思います。
昼間からプラプラ歩いていると変な目でみられますよね?
え?なんでこの人昼間からプラプラ歩いてるの?働いてんのかしら?
私もわりと、昼間にサボって家に帰ったりして昼寝したりします。
どう思われるかわかりませんが、ドラマなどでは主婦が井戸端会議で
「あのひと働いてないのかしら?」
なんて言っているシーンをよく見ます。
フリーター、ニートが異様に叩かれ労働による収入方法のみを教えられた社会の末路とも言えるかもしれません。
よって私達は幼少時より、労働は美徳であり、労働こそ国や家族に尽くすことであることを叩き込まれているのです。
「お金儲けは」穢れている、お金持ちは悪いことをやって稼いでいるという考え方
「お金を持っている人は悪いことをことをやっているに違いない」
こういった意見を言う人をよく見かけます。
もちろん、悪いことをやってお金を稼いでいるという人もいますが、まっとうな商売を仮にやっている人に対しても「きっと裏では悪いことをしている」と思っているのです。
これは、2つの見方があると思います。
1つ目は「自分と違うことをしている」ということから自分の想像力が及ばない範囲のことはすべて型に当てはめようとしている現れでもあります。
2つ目は、「妬み」「嫉妬」です。
自分より稼いでいる人に対しての妬みによって相手を悪く言うようになります。
これら「お金持ち」「お金を稼ぐ行為」は悪であるという「なんとなく、そういう雰囲気」を作っているのです。
もちろん、意図的に権力者は
- 「社畜(奴隷)を増やしたい」
- 「ライバルを減らしたい」
- 「富を独占したいと」
いうことでメディアなどを使いそういったプロパガンダを行っていることは間違いないです。
お金=あまり触れてはいけないもの
まずは、このような考え方から捨てていかなければなりません。
ビジネスやお金の書籍で必ず、書いてあるのはお金や報酬というのは「ありがとう」「価値」の対価であるということです。
社畜を抜け出せる一歩として、今一度、あなたの「お金」に対する考え方を見直してみてもいいかもしれませんね。
忠誠心がある人は素晴らしいという考え方(生え抜き思想)
日本には昔から「忠誠心」が美徳とされてきました。
歴史を見ても、主君をコロコロ変える武将よりも、一人の「主君は裏切れない」といって最後まで主君や家に尽くす姿が美しく書かれていることがあります。
一方で、現実を見てみると主君をコロコロと変えていたほうが結局生き残れるということもあるということです。
戦国時代から江戸時代になった時に豊臣政権から徳川政権に以降する際にこれまで尽くしてきた「豊臣家」から「徳川家」へと鞍替えしています。
逆に言えば「主君」を変えなかったのは、もともと徳川家に使えていた武将と豊臣家に最後まで付き従ったものしかいません。
後者は当然、滅ぼされたり、領地を多く取られていたりします。
もともと徳川家に仕えてた武将なんて、数で言えば1割もいません。
地方の豪族だった松平の時代から仕えてた人なんてほぼいないわけですから。
それら以外の人は、主君をコロコロと変えて江戸時代を迎えているわけです。
極端の例を言えば楠木正成が藤堂高虎より人気があるのかっていうところですね。
何がいいたいのかというと、忠誠心というのは(ここでは会社への忠誠心)ほぼほぼ無駄になるということです。
時代に合わせて、変化していかなければ命さえ失うという時代があったにも関わらず、1つの会社へ忠誠心を美徳とするは間違いなのです。
明治時代になり、江戸幕府はほぼ親藩(親族の藩)以外の大名に見限られています。
つまり、ドロ船だと思えば「乗り換える」しかないのに、歴史上そうしてきた事実があるにも関わらず1社にこだわるという文化はおかしいと思っています。
もちろん、雇う側にとってはコロコロと仕事を変えてもらっては困るという部分があるので「生え抜き」を優遇することもあります。
どっかのプロ野球の球団の監督は生え抜き選手しかなれないとかいう縛りもあるくらいだからね。
しかしそれはただ単に飼いならされているだけです。
もしあなたが会社に恩義を感じ、45年以上忠誠心を絶対に尽くすというのであれば止めはしません。
しかし、私はそんな会社に人生の3分の2を預けようとは思いません。
生え抜きが優遇されるというのも「なんとなく」わかる気はしますが、この思想が全てではないということは認識しておきましょう。
特に、このご時世「外様」だとか「生え抜き」とかと言って社内で明らかな不当な人事を行えば優秀な人材は入ってこないのでなくなりつつある気はします。
個人個人の認識として、1つの会社にこだわる理由は「無い」ということです。
嫌なら違うところにいきましょう。
上のものしか得をしない「上下関係」の文化
上下関係は社畜精神を増長させます。
上司が帰らないから、帰れないといったところもいわば上下関係の延長線上のようなものです。
むしろ、パワハラに当たるレベルでうざい「上下関係」です。
私もずっと野球をやっていて、野球部にいたので「上下関係」はしっかりと叩き込まれているつもりです。
にしても、上下関係ほど「上の人」が得することはありません。
「先に生まれただけ」で威張り散らしている人も多いと思います。
先輩に気を使える人ほど、出世するわけでもありません。
(気に入られることに対するメリットはあると思います)
日本においてはそういった、上下関係を中学生の頃くらいからだんだんと叩き込まれます。
- 目上の人には気を使う
- 先輩の言うことは絶対などという
「先輩やぞ!」というツッコミがウケている時点で、この日本は上下関係が蔓延しています。
「先輩だから何なんだよ」と思います。
上下関係という上のものしか得をしない既得権益と儒教的な精神は社畜を生み出している温床だと思っています。
確かに先人から学ぶべきことは多いです。
ただ能力もなく実力のないものがただ先輩というだけで威張り散らせるのは異常だと思います。
ライオンの群れでも猿の群れでも実力のないボスは追い出されたり降格させられてしまいます。
紛れもなく、「不毛な上下関係の文化」は社畜を量産している原因になっていると思います。
社畜を量産し続けるシステムの「学校教育」
一番の問題は、教育システムです。 日本の学校教育は横並びの教育であり、個性を排除する教育であり、同調圧力の温床です。
人と違うことをすることは「悪」であり、言うことを聞かない生徒は「悪」であるということです。
(教師が管理するのが大変だからね)
当然、学力に関しては「平均」的には上がっていくと思います。
それが、戦後日本が貧しかったときや世界中がまだまだまずかったときは「全体」があがることによって、世界をリードできてきたかもしれません。
一方で、世界中の平均が上がって来ている現在、日本の学力は世界でも取り残されているくらい落ち込んできています
最低限の労働者を産み出す教育ですので、「平均」一番なのです。
国力を上げるためには未来の人材を育成しなければなりません。
ただ、いまだに日本の教育は戦後と何ら変わらず、いうなれば江戸時代の寺子屋の延長線上の教育システムです。
ちなみ2016年の初等教育から高等教育の公的支出が国内総生産(GDP)に占める割合は日本が2.9%です。
OECD加盟国35か国中最下位となっています。 *1
日本は未来への教育には力を入れていないということが数字を見れば明らかにわかります。
学校は社畜、奴隷を育成する機関であり、有望な人材を育成する機関ではないからです。
もちろん、お金のある家庭はインターナショナルスクールや私立の学校に入れて「社畜根性(思想)」を入れないようにしています。
ただ中流家庭以下の子どもたちは、当然親も「社畜」ですので、なんの疑問ももたず学校を信頼しています。
いまだに「社畜育成」され未来の社畜が量産されているわけです。
私も学校教員の免許を持つ身として、一時期は教育者を志した身としては日本の教育は本当にこのままではいけないと考えています。
ネットでは散々言われていますが、 「お金」の教育を行わない 人生においていちばん大切なことです。
リボ払いをするなとか、税金の知識、資産についてなど教えてなければなりません。
もちろん、国は国民が賢くなり、「節税」の知識なんか身につけてもらったら困ります。
これが社会人になり、社畜となる根幹にあるわけです。
自営業者と社畜がどちらが税金が優遇されているのか、学校で習わないのです。
もちろん、義務教育で確定申告なんて勉強しないですからね。
お金持ちの99%は税金をある程度コントロールし、節税しています。
一方の社畜は、税金のコントロールは「ほぼ」できません。
お金の教育だけではなく、運動会や文化祭においても「社畜」になる準備の儀式のようなものですよね。
行進、体育座り、合唱など「奴隷教育」でしかありません。
確かにいい思い出はいっぱいあるけどね。
刷り込みって本当に怖いよね
周りを気にする文化「同調圧力」
社畜根性が幼少期より、刷り込まれ、植え付けられている現状ですが、同調圧力というのも(日本独自ではありませんが)日本ではかなり根深い問題となっています。
- 「人と違うことをすること許さない風潮」
- 「みんなと同じことしなければ怒られる」
- 「マスクをしなければ晒される」
ほぼ同一民族しかいなかった島国日本において、他人と違うことは「非人」とされてきたわけです。
これは、学校では「なにか違うこと」がキッカケで「イジメ」に合うものと一緒で「みんなと違う」ことをするというリスクを嫌なほど感じざる負えない経験にもなっています。
必死で親は、周りの子供達と同じものを買い与え「差」をなくそうとします。
子供も親も「同調圧力に怯え」、「同調圧力になって」育ってきたです。
「出る杭は打たれる」ということわざもある通り、少しでも目立つとこの排他的な社会から淘汰されてしまいます。
社畜はこうしたメンタリティのもとで次々と量産されていくわけです。
社内でも目立たないように、上司には意見がいえない、Noと言えない、まさに社畜イエスマン。
周りの同僚が定時になっても帰らない。でも帰りたい。実際仕事は終わってるし。
残業せずに、定時で帰ったら
- 「どう思われるのか?」
- 「なにか言われるんじゃないか」
不安になるという人は立派な社畜です。
自分の意見よりも「他人からどう思われるのか」を優先して生きて来た人ほど社畜」の才能があります。
ブラック社畜から抜け出す方法
ここまで、ブラック社畜がなぜ量産され続けているのかを6つの理由を軸にお伝えしてきました。
ここまでの話をまとめます。
- 「労働」が美徳であるという絶対的な価値観
- 「お金儲けは」穢れている、お金持ちは悪いことをやって稼いでいるという考え方
- 忠誠心がある人は素晴らしいという考え方(生え抜き思想)
- 上のものしか得をしない「上下関係」の文化
- 社畜を量産し続けるシステムの「学校教育」
- 周りを気にする文化「同調圧力」 これらが、日本において「社畜」を量産し、これからも量産し続ける
教育や文化、法律などで私達は「社畜」を作り上げるシステムのベルトコンベアの上に乗せられているということです。
次々と、社畜になるために社会に出荷され企業の操り人形となり、一生養畜されるわけです。
ただ、先述したようにブラック社畜から抜け出す方法というものも存在ます。
今回お伝えする方法は3つあります。
- 起業する
- ブラック社畜からホワイト社畜へ転職する
- 働かない
起業する
会社を経営し、社畜を雇う側に経つということです。 少し現実的ではないかもしれませんが、会社を経営する立場になった少し考えてみましょう。
経営者にとってどれだけ「社畜」がありがたい存在なのかを。
起業するといっても、会社を経営するだけではありません。
副業を始めることも一種の起業です。
生活の糧となる収入源を会社だけに依存するのは今後「リスク」しかありません。
よって、副業をコツコツと今のうちからスタートして収入の幅と量をあげていく必要があるのです。
収入源が会社だけに依存していると、「会社」に逆らえない「奴隷」となってしまいます。
理想を言えば、会社の給料を上回るくらいの収入源を確保して「いつでも辞められるけどな」という心の安心感を持てるくらいの副収入を得ておきたいですね。
ブラック社畜からホワイト社畜へ転職する
私が選択したのはこの道です。
同じ社畜ですが、会社のために働いている意識は毛頭ありません。
割と自由度が聞くし定時には帰れるし給料もいいということで「社畜」は「社畜」ですが、こき使われている感覚はありません。
しかしこれが、同族企業の場合だと話が変わってくるかもしれませんね。
働かない
もう、働かないという選択肢です。
日本には生活保護という制度もありますし、精神や体を病んでまで働く必要はないのです。 また海外で暮らすという選択肢もあります。
といっても、生活もありますし、家族がいる場合は働かないというのも厳しいと思います。
ただ「本気」で「働きたくない」と願って、考えて、行動してみることで新しい道がみえてくるかもしれません。
そうやってイノベーションは生まれてきたからね
なんかちょっと違う気がするけど。
社畜として現実的な選択肢
一番現実的な選択肢としては、2番目にお伝えした「ホワイト企業への転職」がベストだと思います。
ホワイト企業に勤めながら、「自分の時間」を確保するということです。
会社のための自分の時間ではなく、自分自身へ時間を投下できるかどうかです。
そこで、副業なり投資なりを行い収入の柱を作っていきます。
首につけられた鎖の首輪を外すには、「お金」がなければ厳しいのです。
それが、キツキツの首輪だとお金も稼ぐことが出来ません。
ゆるゆるの首輪であれば、お金だって収入だって増やせる可能性は増えてきます。
飼い主が見えないところで、せっせと収入を作ることができるのですから。
学校の教育では、一生会社で働くことが「是」とされます。
それが社会のため、日本のためになるわけですから。
セミリタイアする、配当生活を送るなど社畜とは違うパターンも教えて言ったら既得権益者はこまりますからね。
当然、教師や教育者も「社畜」と言えますからその生き方しか知りません。 (公務員の場合は公僕ともいう)
まとめ
今回は、社畜がなぜ日本において量産され不幸を生み続けているのかをお伝えしてきました。
そのなかでも、特に教育に原因があるのではないかと私は思っています。
社畜を脱出する解決の方法として、「起業」「転職」といった手段もご紹介しました。
これには、「同調圧力に耐える考え方」や「生え抜き思想」を取っ払う必要があるだけです。
自分の人生は、誰のものでもなく「自分のもの」です。
ましてや「会社や上司」のものではありません。
いま「社畜」なのはある意味、日本のシステム上仕方ありません。
ただ、会社や上司に人生を預けたくない場合でブラック社畜であるならば一刻もその現状を認識し、首にかけられた鎖を取っ払わなければいけません。
*1:OECDの報告書「図表でみる教育2019年版」(Education at a Glance 2019)