今回は、愛知県名古屋市西区にある「冨士浅間神社」(ふじあさまじんじゃ)に行ったので、そのレポートを書きたいと思います。
※名古屋市にはもう一つ冨士浅間神社がありますので、今回は「西区」と表記します。
冨士浅間神社(名古屋市西区)の特徴
御朱印マトリクス
- 見どころ:2.0点/10点満点中
※個人的な意見
- 歴史:1398年
(創建されたとされる年)
比較しやすいようにマトリクスを作ってみたよ
あくまでもこのブログとしての見解だからね
冨士浅間神社(名古屋市西区)の特徴
目次
筆者プロフィール
筆者紹介(クリックで下に詳細を表示します)
2017年に初の御朱印を記帳。家族のすすめで御朱印を始める。それ以後100を超える神社寺院の御朱印をいただく。 御朱印の他にも城郭巡りが趣味であり全国各地の城郭をめぐる。 大学時代の史学を専攻し専門は中世日本史であり、卒論の研究テーマ「城郭における立地における条件」だった。 教職員免許の地理歴史を保持し、歴史能力検定は2級(日本史)。ブログには御朱印の他、趣味のサウナ、サラリーマンとしての投資、ダイエット記録などを掲載しています。
冨士浅間神社(名古屋市西区)の場所
冨士浅間神社(名古屋市西区)に訪れた日
今回訪れたのは、2020年12月22日です。(御朱印に記載の日時)
冨士浅間神社(名古屋市西区)の住所
- 〒451-0035
- 愛知県名古屋市西区浅間1丁目4−2
冨士浅間神社(名古屋市西区)の御朱印
冨士浅間神社(名古屋市西区)の御朱印は、参道から拝殿に向かって左手にある社務所でいただけます。
冨士浅間神社(名古屋市西区)の御朱印
これが今回頂いた御朱印です
冨士浅間神社(名古屋市西区)の御朱印の値段(当時)
予算:300円
(初穂料・朱印代として)
冨士浅間神社(名古屋市西区)の歴史など【あれこれ】
創建は室町時代1398年です。
三谷源太夫が冨士浅間神社に参拝し勧請してもらったことが当社の始まりとなっています。当時は名古屋市の東区にある富士塚町にありました。
1610年に浅野幸長が東区の浅間塚に名古屋城築城の際に普請の小屋を建てています。 浅野幸長は豊臣秀吉の子飼いの大名でもあった浅野幸長は関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍についています。
その際に冨士浅間神社は西区に移動しました。
そして、東区にも同じく冨士浅間神社があります。
東区の浅間神社にもいってみたいですね
浅間神社
浅間神社は主に富士山に対する信仰の神社です。
富士山は古くから霊山として日本鎮護の神山として崇められてていました。 奈良時代には火山活動が活発化したとされて「火山神」(浅間神)として信仰されて全国に広がりました。
富士山の南麓にある、富士山本宮浅間大社が総本宮とされており、神仏習合によって「浅間大菩薩」とも称されています。
富士塚
関東地方には、神社の境内に「富士塚」が気づかれました。
富士塚というのは、氏子らでお金などを出し合って「ミニチュアの富士山を作ろうぜ」というノリでできたものです。
ミニチュア富士山を登ることによって、富士登山の気分を味わったとされています。
冨士浅間神社(名古屋市西区)の現地の様子
冨士浅間神社(名古屋市西区)の鳥居
冨士浅間神社(名古屋市西区)の手水舎(てみずや)
冨士浅間神社(名古屋市西区)の狛犬
筆者ひとこと
名古屋出張の際に参拝しました。
名古屋城の西側にあり、愛知縣護國神社から歩いて訪問しました。
境内には稲荷神社をはじめ歴史を感じるものも多かったです。
こじんまりとしていましたがとても雰囲気のある神社でした。
神社の方はとても親切で老夫婦でしたがいろいろとお話をしてくださりました。
話の内容はそこまでおぼえてないんだけどね、雑談だったし
バチ当たりなやつやな
冨士浅間神社(名古屋市西区)でお祈りした内容
で、何をお祈りしたの?
「いつもありがとうございます、家内安全、健康でお願いします」って
なんともシンプルね
基本的にはいつもこんな感じだよ
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