- 最終更新日時:
全国には多くの神社があります。
神社の数は、およそ8万社から10万社あると言われています。
その中でも、様々な「神様」をお祀りしているわけですが、今回は「八幡神社」「八幡宮」といった神社にフォーカスをあてて解説していきたいと思います。
八幡神社(八幡宮)とは?
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神(やはたのかみ・はちまんしん)を御祭神としている神社のことです。
また神社によっては「八幡神社」や「八幡社」「八幡さま」などとも表記・呼称されています。
八幡宮は、全国におよそ44,000社ほどあり、総本社は大分県宇佐市にある「宇佐神宮」となっています。
八幡宮の総本社なのに、宇佐神宮は神宮なんだね/p>
「神宮」というのは選ばれた24社しかなるることが出来ていない神社だからね。別名として宇佐八幡・宇佐八幡宮とも言われてるよ
八幡の神・八幡神
八幡神は、源氏・平氏など全国の武家から武運の神さま(武神)として崇敬を集めています。
誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)ともよばれています。
早い段階から、神仏習合されて「八幡大菩薩」とも称され八幡神社の境内に「神宮寺」が建てられている八幡神社もあります。
誉田別命
現在の神道では、八幡神は応神天皇の神霊であり、571年に初めて大分県の宇佐の地に示顕(じげん) したと言われています。
神紋
宇佐八幡をはじめとする八幡宮の多くは巴紋(ともえもん)を神紋としていています。
いろんな神社でもよくみるわね
八幡神の神紋として用いられてから神社全般で使われるようになったとか。
武家の守護神として
源氏、平氏をはじめとする多くの武家に広く進行されているのが八幡神です。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は『吾妻鑑』によれば、岩手県の鎮守府八幡宮への参詣の様子が記されています。
鎮守府八幡宮
鎮守府八幡宮はもともと征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に勧進して弓矢鞭などを納めています。
源氏と八幡神
特に源氏は八幡神を氏神として崇敬しています。
壺井八幡宮
河内源氏の2代目の棟梁である源頼義は大阪府羽曳野市にある壺井八幡宮を氏神としています。
- 〒583-0844
- 大阪府羽曳野市壺井605−2
石清水八幡宮
また源頼義の子の源義家は京都の石清水八幡宮で元服(当時の成人式みたいもの)を済ませると、自らを「八幡太郎義家」と名乗りました。
- 〒614-8588
- 京都府八幡市八幡高坊30
平将門と八幡大菩薩
「平将門の乱」で有名な平将門は『将門記』によれば上野国(現在の群馬県)の国庁で八幡大菩薩によって「新皇」の地位を保証されたとしています。
天皇・上皇の行幸も
藤原純友の乱・平将門の乱では、調伏が石清水八幡宮で行われました。
乱の平定後には国家鎮護の神様として崇敬があつまり、石清水八幡宮は京都へ近いこともあり円融天皇以来、240回もの行幸が行われたと言います。
源氏の鎌倉時代
源頼朝が鎌倉に幕府を開くと八幡神を鎌倉へ迎えます。 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)を建て御家人たちを含めた武家の守護神とします。
鶴岡八幡宮
- 〒248-8588
- 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31
明治以降:神仏習合と八幡大菩薩
神仏分離によって八幡宮は「神社」と改組されます。それによって、神宮寺は廃止になってしまいます。
仏教的神号である八幡大菩薩は禁止になってしまいます。
しかしながら、八幡大菩薩の神号は根強く残っており、第二次世界大戦の航空基地などには「
」の大幡が掲げられたりもしていました。
また、八幡空襲部隊(八幡部隊)と名乗った部隊もあったくらいです。
八幡大菩薩の御朱印
現在は、八幡宮では基本的には八幡宮用の御朱印を記載してくださるのですが、希望によっては「八幡大菩薩」のを墨書きを授与している神社もあります。
三大八幡
一般的に、三大八幡と呼ばれる神社は4社あります。
三大なのに4社っていうのは数え間違えかしら?
こういうのはきっちり決めてほしいけどね
2社は確定で、宇佐神宮と石清水八幡宮です。
もう1社は福岡県の筥崎宮か、鶴岡八幡宮のどちらかが選ばれていますが、最近では東京からちかいということもあり、鶴岡八幡宮が三大八幡として紹介されることが度々あります。
八幡宮のご利益
- 戦勝祈願
- 必勝
- 厄除け
- 開運
- 商売繁盛
- 家内安全
必勝がいいわね
まとめ
今回は、「八幡宮」「八幡神社」について見ていきました。
八幡神社は、武家とくに源氏にゆかりのある神社が多くご利益としても、「戦勝祈願」などが特徴に挙げられます。
総本社として覚えておくのは、大分県の宇佐神宮であるということを抑えておきましょう。
数ある神社でも八幡神社というのは各地方にも多くありますし、こうした分類や歴史の経緯をしっておけば観光・散歩などもより一層有意義になってくると思います。