働くってなんだろう。社畜をしながら私はいつも山手線の吊革につり革にもたれながら考える。
眠くまぶたが塞がっている状態で新宿のホームから山手線に停車する電車に飛び乗る。
ギューギューに詰まった車両の中はまるで、奴隷列車。
ブレーキの度に吊革を握りしめる。まるで、命綱を持っているかのように朝から真剣勝負だ。
いつまでもこんな生活耐えきれない。
自分が働くと決めたらから社畜の道を選んでおいて不満、愚痴を垂れ流す社会、会社にとって害悪でしかない私。
そんな事思ってるのは私だけではないはずだと思う。
この状況を抜け出す(脱社畜)ために、少し働くということについて掘り下げて考えていきたいと思う。
時代によって誰のために働くか変わっている
歴史からみて、現在は会社のために働くという社畜ライフというよりは、キャリア、自分のために働くという流れになっている。
こんな図をつくってみたので、これを元に少し考えていく。
時代の変化によって、「誰のために働いているのか」を可視化した図だ。
現在、「平成」の時代においては、「自分のため」に働いていると言える。
1998年に設定したのは、アジア通貨危機やその以前に起きたバブル崩壊、そして大手銀行などの統廃合などがあり、これまで絶対神話であった企業に頼ることができなくなったからだ。
時代とともに変化した働く意識
少し、時代を遡っていく
安土桃山時代まで遡ると時代は下克上。
若干現在の状況と私はかぶっていると思うが、立身出世を志す若者で溢れ、
裏切りや既存の勢力と新興勢力の争いなどが日常茶飯事だった。
結果として、農民出身であり、織田信長の家臣であった豊臣秀吉が時代の頂点に君臨することになる。
それまでの時代は、安定した時代があるにせよ、
生きるか死ぬかがメインの時代となる。ため省略。
出自が農民ということも有り、一発屋に終わってしまった豊臣政権は長くはなく、1603年に徳川家康が江戸に幕府を開く。
この豊臣秀吉、徳川家康の政策として身分制度が働き方に大きく関わってくる。
安土桃山時代、室町時代とは打って変わり安定政権を志したため立身出世どころか、刀狩りを始め、検知をし農民は農民、商人は商人といった固定された身分制度を展開することになる。
支配階級として国民を統率していた武士だが、時代の変化においていかれるものも当然大勢いた。
特権階級として君臨するために、働き方を制限し身分を固定した。
身分を固定された生き方は現代において差別などにつながるため、ほとんどの国では一部の宗教以外禁止されているくらいだ。
基本的に武士は、国(や会社)という概念もそこまでなくお家第一、藩、幕府のために働いていた。
決められた仕事をし、ある程度の出世と武士の生き方を全うするだけに働いていた。
戦国時代の武士には将来こうしたいという先を見る眼差しがありましたが、江戸時代の武士には藩のシステムの中でしか動く発想がない。「主君あっての俺」しかない。しかも藩から転職できない。辞めれば、浪人になるしかない。
外圧が国を変える
どんな組織も長く続くと不満が溜まる。不満どころか横領や自己保身から組織を腐らせてしまう。江戸幕府が1603年から1868年も経てばそれは仕方ないことだろう。
江戸時代も終盤に差し掛かると欧米列強が日本に開国を迫ってくる。さらに海外の情報を知った若者たちが長州藩を中心に倒幕を志、天皇中心の国造りを目指すところとなる。
サムライから日本男児へ
そして、西南戦争を最後に武士の時代は終わり四民平等の身分制度となる。
しかしながら欧米列強に遅れを取っているため政府は富国強兵策を取り、国力増加を計る。そして、お国のためという風潮がよりいっそう強くなっていく。
お国のために働く時代
時代はますます日本にとって逆風となる。
欧米列強と肩を並べるまでに成長した日本だが、満州事変を皮切りに国際連盟を脱退し世界から孤立してしまう。
資源にもともと乏しく輸入に頼っていた日本は窮地に追いやられることになる。
大本営発表や新聞、ラジオなどのメディアもお国のために記事を書くようになる。
国民の意識を国のために向けての総力戦となったが、アメリカ、連合国に敗退する。
この時代というのは、「個人」という時代とはかけ離れていた。現在で言えば多くの国民が集団でマインドコントロールをかけられていた状況に近いかもしれない。
もちろん、国のために命かけて国を守ってくれた先人には感謝しなければならない。
会社に入ればイケイケドンドンの時代
戦後の日本の経済発展は世界でも類を見ないほどのものだった。
1964年東京オリンピックでは新幹線、インフラなど先進国と肩を並べあるいはそれ以上の成果をあげた。
国としても会社としても仕事はかなりあった。国家事業、公共投資、インフラ整備など会社に入れば安心、安泰の時代となる。会社に入っていれば、平等、福祉そして安定した老後も期待できた。日本の製品は世界を席巻した。
会社は老後、安定を提供し、労働者は労働力を提供する代わりに安定と収入を。まさに企業にとっても国にとっても国民にとってもイケイケどんどんの時代だった。
バブル崩壊と共に時代が変わる
そして、行き過ぎてしまったいつまでも好景気は続くはずもなく経済成長は鈍化しバブルは崩壊。
絶対的と思われていた銀行、大企業もその波をモロに受け統廃合。
日本の経済は鈍化すると共に、働き方を見つめ直す時代がやってきたのだ。
これまで、国が会社を守ってきた。
護送船団方式と呼ばれるくらいに横並べに規制をかけてきたり、外圧から守ってきた。
しかしながら、グローバル化が進み外資系企業も日本に多く入ってきており、企業同士の弱肉強食の世界がすでに始まっている。
SHARPを始め日本を代表し支えてきた会社も統廃合を余儀なくされている。
そして東芝ですら、会社としての存続が怪しくなっている。
東電、日本航空なども時代の変化に対応できなかった。
私の死んだじいちゃんにこれらの会社がピンチだよ、潰れたよなんていうと、絶対に信じてもらえないだろう。
会社に入れば絶対安心、安定転職なんて落ちこぼれがするようなもんだ。そんな時代は間違いなく終わった。
新しい時代の働き方
インターネットが一般まで浸透し、国、距離の壁が大きくなくなった。
スマホが手元にある生活が普通になった。
同時に変化のスピードがあがり、変化に対応できない企業は衰退していった。
それは個人も同じだ。
時代は間違いなく変わっている。銀行にお金を預けていればどんどん複利で資産が増えていく時代ではない。
企業が人生を守ってくれる保障はない。
働く人は会社を選んでいかなければ、変化に対応できない会社とともに道連れとなる。
まさに、個人が自立していかなければならない時代になっている。
時代の変化を痛感した東日本大震災
多くの人が変化を否が応でも感じたのは2011年の東日本大震災だろう。私も上京したてでかなりショックを受けた。
信頼できないメディア、大企業、国。助け合う人。情報を発信する人たち。いろいろな人が色々な立場でなにか行動しただろう。
人生を見つめ直す機会もあったことだろう。紛れもないそれは時代の変化する前触れだったのだ。
そして、働き方やライフスタイル、考え方は間違いなく変わった。
国は働き方を考え直し初めて動き出している。
個人の不満が共感を呼ぶ時代になり、企業はそれを恐れる。
もはや企業は個人を締め付けることができなくなった。
どんなに鈍感でも、どんなに国、会社を信頼しても時代は動いているのだ。
明日も、朝の山手線は満員電車だ。
いま勤めている会社が来週潰れるとも知らずに、
その吊革にいつまでしがみついているんだい?